喪女と自己愛と社会性

副題:29歳アラサーオタクの喪女が自己分析しながらなぜ喪女なのか考えた。



最近は、「いま彼氏がいない状態」を喪女と言う場合もあるたみたいだが、自分は正真正銘、生まれて一度も恋人がいない方の喪女だ。

人としてこのステータスが社会的にやばいのは自覚してる。


合コンは数え切れないほど行った。メイク講座に行ってみたり、髪をいじってみたり全身脱毛したりと身嗜みにもを使ったりしてるのだが、未だに喪女である。


正直いまは彼氏が欲しいと思っていない。これは本音だ。
しかし喪女というポジションは捨て去りたいのだ。厄介なことに。


自分が彼氏がほしい目的は、人肌恋しいとかではなく「人並みになりたい。馬鹿にされたくない、コンプレックスを克服したい」なので、そりゃ恋人なんてできないよね、と自分でも思う。
でもこのまま一生そういう関係を持てないままなんじゃないかと思うと、たまに発狂しそうになる。


オタクのコミュニティの中では、これからは多様性の時代だから、というようなことを耳にするが、やはりどこかで開き直れず、喪女であることを気にしている自分がいる。

一周回って恋愛至上主義のような風潮が憎い時もある。
例えばアクション映画を見ていて、最終的に男女バディから恋人になるシナリオだとがっかりする。
誰かにときめくという心理も、少女漫画で習ったからそう刷り込まれているだけなのではないかと思うときもある。


かと言ってそれは、自分がAセクシャルだからとか、同性愛者だからというのでは全然ないと思う。

一時期はそう自称していたが、オタクであるし商業BLや百合が好きなので、つまり性欲は理解できるし、なんなら興味もあるのだと思う。この時点でAセクシャルではない。
そして同性愛に共感している訳ではなく、自分も『マイノリティ』という証明が欲しいだけだと気づいて、当事者に対してなんて浅はかで失礼なのだろうと猛省した。


単に男女の恋愛ものが好きではないのは、自分の経験がないから理解できないからだ。
感情移入させておいて、自分の理解できない結論になるから憎いのだ。
私のようなタイプが、きっと彼氏が出来た瞬間マウントを取り始めるんだろうという自覚も持っている。


自分らしくしてればいいじゃん、と思うかもしれないが、(自分が勝手に感じている)社会からの嘲笑が、絶え難い時がある。


最近ようやく、これは外見の問題でなく、元をたどれば自分は自己愛が強すぎるのと、社会性がなさすぎる、そして年齢の割に幼稚なのが原因で、
だからこそ恋人ができないのだという結論に至った。
学生時代にうまく人間関係をこなせなかった奴は、大人になっても関係の構築が下手なのだ。


以下は自分語りなので長い。結論は太字のところなので、流し読みしてちょうどいいと思う。


そもそも自分が「喪女って実は人としてやばいのでは?」と思ったのは、社会人になってからだ。
この時点でもうちょっと遅れていたのかもしれない。
言い訳がましいことを言うが、自分は中高一貫校の女子校から女子大に行った。居心地がよく、10年間も女の園にいた。

高校では学年全体でみても彼氏がいる子のほうが珍しく、大学では友達はみんなオタクだった為、彼氏を見つけるより二次元に夢中だった。
この時まではそれが普通だと思っていた。


新卒で入った会社では、同期は全国の支店に散らばっていたが、合わせて70人は超えていた。そのうち女子は20人くらい。
研修の夜に女子会をしたとき、みんな彼氏いる?みたいな話題を振ってきた子がいた。
彼氏が居なかったのは、3人だけだった。


オーバーに聞こえるかもしれないが、自分の常識が覆った瞬間だった。


会社の社風は体育会系で、週に二回は営業部長の怒号と罵声がオフィスに響いてた。
一応都会の一等地にあるおしゃれなオフィスなのに、内部は昭和気質な会社だった。

会社も体育会系なのが関係しているのか、同期の男性陣は、言い方は悪いがウェイ系のパリピがほとんどだった。
飲み会の時にはわい談で盛り上がり、恋人やら風俗の話で盛り上がっていたが、私にはその手の話題は敢えて振ってこないようにしているのが手にとるように分かった。

まず、私は当時髪の毛も染めず、化粧も朝はできる限り睡眠時間を長くするために、最低限で済ませていた。
下地とファンデとグロスとチークのみ。地毛は黒髪のロング。いちおうオフィスカジュアルでごまかせるし、事務職だから接客もないので気を抜いていた。
相手に失礼のないよう一日中きちんと整えている営業の女性社員と並べば、垢抜けなさが一目瞭然なのだ。


オフィス内も、休憩時間にソシャゲをするような人は皆無だった。
ここでも昭和の流れをくんでるのか、ちょっとオタクっぽさを見せると引かれる事もあったので、そういう話題は一切せずに聞き役に徹した。

先輩は結婚してお子さんがいる人が大半で、話題はたいてい子育ての話がメインだった。

お子さんをプリキュアの映画に連れて行ったらオタク系の男の人がいて子供に何かされないか不安になった、と話していた事を鮮明に覚えている。
オタクはあなたの子供には興味ないんで、と言いたくなったがぐっとこらえた。


・40代の既婚の女性は、「お子さん居ないとやっぱり服もあの年齢でもかわいい系とか着れちゃうよね」との評価だった。

・50代の独身の事務の女性は、バリバリ仕事ができて男性社員からは好感度が高かったが、女性社員の間ではすでにアンタッチャブルな存在として有名だった。

・偶然にも同じ高校出身の先輩がいた。同じく仕事はできて信頼も厚かったが、アラフォーでジャニオタで独身だったので、同部署では「あの人は…ねえ?(笑)いろいろすごいよね(笑)」という評価だった。これもやはり女性からの評価だった。


ここでは既婚子持ち>既婚子供なし>独身 (論外:オタク) がヒエラルキーだったが、大体社会のヒエラルキーはこの通りなのだろうな、というのを学んだ。
おそらくこれが世間の普通なのだ。
そして個人的に、女の敵は女だというのも確信した。


一度元ギャル系の先輩に、ピアスを開けていない旨を話したらものすごく驚かれた事がある。(アラサーになってようやく開けた)
その時「フツー高校か大学の時にあけるっしょ!?」と言われて、
『私が過ごした学生時代は世間一般からだいぶかけ離れてたんだな』とようやく理解した。

大学の友達はだいたい5人でつるんでいたが、みんなピアスを開けていなかったので、ここで言うフツーではなかった。
ピアスを開けていないのは、世間的には野暮ったい印象のようだ。


女子校は確かに気楽で楽しかった。個性的でも許された。
でも社会に出て、女子校と違うルールにうまく順応できなかった女子校育ちは、ただの「変わった人、やばい人」になってしまった。


会社に限らず、例えばこの先の人生でママ友グループとか、習い事だとかにおいて、生きていくうえでそういう『世間一般での評価』は必ず付き纏う。
多少はこれに馴染まなければ、待っているのは針の筵だ。
私のメンタルは、それを気にしないでいられるほど強くはない。


最初は「彼氏いないの?」という質問にバカ正直に答えていたが、相手の引き方が半端じゃないので、途中から恥ずかしくなって誤魔化すようになった。

「自分は普通じゃありません」という自己申告を、わざわざする必要もないと思った。

それでも嘘が苦手なので、おそらくバレバレだったらしい。同期の時と同じで、部署のなかで私へ恋愛の話が振られることはなくなった。
気を使われているのが正直辛かった。


先輩達も当時は、『まあまだ21だしな』と思ってたかもしれない。
そのあと順を追って、髪の毛にデジパかけたり染めたりしたので、
少し遅いが、ようやく気付いたのかと思っただろう。


努力の甲斐むなしく、数年経った今でも喪女である。


浮いた話というよりも、むしろ下記のように、話のネタになるエピソードが増えるばかりだった。

1、ボードゲーム趣味で仲良くなった知り合った男性に、友人も呼ぶから部屋にゲームをしに来ないかと言われたが、
ここで喪女お得意の「自意識過剰」を発動してしまい、あからさまに返事に詰まってしまった。
男性からは、「いきなり襲ったりしないから大丈夫だよw」と失笑まじりで返され、
その後は完全におもちゃ認定されたらしく、「面白いからずっと喪女貫いてほしいわ〜」とか何とか、関係が切れるまで言われ続けた。


2、1年間の留学に行った時には、さすがに何かあるだろ、と内心期待していたが、すごく気が合って好きかもしれないと思った男性にはゲイだとカミングアウトされた。
海外では、30近くになって人生で一度も恋人がいないのは日本よりも異常事態で、正直に言ったらやっぱりドン引きされた。
アジア出身で同じく喪女だった子と、悲しすぎて後日酔った勢いでキスした。これがお互いファーストキスである。


そうこうしてる間に、仲間だと勝手に思っていた学生時代の友人達も、会社の同期と結婚したり、合コンで彼氏を見つけたりし始めたので、
私も合コンには誘われたら必ず行ったが、成果はなかった。


そもそも人に対して全く興味が持てないのだ。
クリエイティブ系の人の話は面白かったが、興味があるのは人ではなく仕事の内容だと気づいた。
メッセージをくれてもめんどくさくなってしまって、無視してしまったりした。
最終的にはセッティングしてくれた友達に「言うてそこまで彼氏欲しいと思ってないでしょ」とまで言われ、
図星だったので24歳くらいで合コンに行くのを辞めた。


こんな具合で全く鳴かず飛ばずなのだが、ある日母から「あんたの性格に付き合える彼氏がいたら相当貴重だよね」と言われ、
その一言から根本的な原因を理解した。

そう、私は性格が悪い。
私がモテないのはどう考えても性格が悪いからだった。


自分でそう言い切れる。なぜなら前述した中高一貫校時代、6年間のうち3回も友人と揉めているからだ。

・当時親友だった子に交換日記で将来の夢を打ち明けたら笑われたのが許せず、『何様なんだよ死ね』とキレて縁を切った。

・不機嫌になるとすぐ顔に出してしまっていたのがグループの雰囲気を悪くするという事で、ある日突然仲良しグループに素っ気なくされ、そのままフェードアウトされた。

・本人のいないところでうわさ話に乗ってしまったのが友達の逆鱗に触れ、釈明の余地もなく卒業した。

いちおう注釈を入れるが、これはいじめとは少し違う。女子校独特なモノかもしれないが、
大抵どこの仲良しグループでもイザコザが起きて、いつものメンバーだった人が入れ替わったり元に戻ったりするのだ。
でも自分は、明らかにその頻度が高かった。


ざっとこんな感じである。いい教訓だったとおもう。

ぜんぶ自分が、『うーんそうかもね〜』くらいで受け流したり、自分の機嫌に気を使ったり、本人のいないの所で噂話が始まっても、絶対に肯定も否定もしないように気を付けていれば回避できたことだ。

原因はぜんぶ私の社会性のなさによるものだ。他人とのコミュニケーションに幾つもの決定的な欠陥がある。
でも大抵、事が起きてからでなければ気がつけなかった。

余談だが人づてに聞いた話、私と仲違いした上記の三人はみんな恋人を作って結婚した。
社会的に彼女たちは正しいのだ。


加えて自分は、親にめちゃくちゃ甘やかされて育った自覚がある。これが厄介な自己愛とプライドを生んでいる。
人と上手くやれないのも、ここが一枚噛んでいる。

生まれつき体が弱かった私を母は物凄く心配し、溺愛して育てた。
結果、気に入らないことがあるとすぐ泣いて不機嫌になる性格に育った。

自分を否定されることに慣れていないのだ。ぶっちゃけ大人になった今も、怒りながら泣くし、悲しくても泣く。

しかも「ごめんなさい」がすぐに言えない子供だった。「私悪くないもん」と内心思っていた。


いつだったか、成人してから『ありがとうとごめんなさいが言えないやつは何やってもダメ』という言葉をネットの海で見た。
高校生の時に知りたかった言葉だった。

普通の人はいつ頃こういうのを身に付けるのだろう。
自分の場合、今でも仕事の時はずっと、その言葉を意識していないと、ありがとうとごめんなさいがすんなり出て来ないくらいだ。
いまだに、「私悪くないし」と思いながら謝罪している。
心の底から反省するわけではないので、たぶんクレーム対応には向いてない。泣くし。


恋人の有無に顔の良し悪しが強く影響するわけではない、というのは重々承知だが、これも追加しておく。

子供の時はよく『かわいいね』と言われることが多かった。
小柄だったので、これは恐らく『見た目が小さくてかわいいね』であり、決して『顔がかわいいね』ではないのだが、
不幸なことに、自分の顔が可愛いのだと思って育った。
顔が可愛いと思っていたから、似合うと思ってアクシーズファムを好んで着てた。闇に葬りたい。

小さい頃こそ目がぱっちりと大きかったが、顔が成長したので今は普通だ。逆に疲れると斜視が目立って軽くホラーになる。
それでも刷り込みとは恐ろしいもので、未だにその自意識過剰さが抜けない。
電車などで視線を感じると、自分が見られているように感じる。見られているとしたら、後ろの広告か、
自分の顔か服装が、普通の人から見たらやばいからなのだろうけど。


そんな状態なのに、オタクの集まりの中だと自分が一番マシなんじゃないかと思う時がある。
実際はかなりやばい部類なのに、無駄にプライドが高く、ここでもやっぱり性格が悪い。

自分でもどうしてここまで上から目線になれるのだろうと自己嫌悪する時がある。おそらくなけなしの自尊心を守りたいのだろうけれど、
いちど軍隊とかに入って、自尊心が欠片もなくなるまでしごかれた方がいいとすら思う。貧弱すぎて入隊できないが。



で、ようやく恋人うんぬんの話に戻るが、

こんな性格のやつが他人に愛情を分けたり、優しくできるとは自分でも思えない。
基本的に自分が大好きで自分本位で、他人に興味を持てないし、かなり意識しなければ他人をおもいやることができない。

これこそ正に、自分に恋人が出来ない理由なのだろう。身嗜み以前に、人として問題があるのだ。
こんなヤバいやつと付き合いたい人が果たしているだろうか。


原因は分かっているので改善の余地はあると思いたいが、取り繕ってもいつか絶対ボロが出るという確信がある。


そして最初に結論付けた通り、実は言うほど彼氏が欲しいわけではない。


愛し愛されたい訳ではないし、自分の時間を他人に割きたいと思えないのだ。
心を開いてわかり合いたいとも思わない。それなら10年来の友人がいる、黒歴史まで見せ合っているつうかあの仲だ。
今更他人とそんな関係を1から築くのは億劫だ。


序盤で述べたとおり、自分が欲しいのは「一度でも彼氏がいた」という社会的地位なのだ。

最後にぶっちゃけてしまうと処女だけを捨てたい。
かと言ってセフレを作ったり風俗に行く度胸もないのだ。女性向けのそういう風俗があるのかは知らないけど。
処女を捨てない限り、ずっと劣等感から解放されないという焦りがある。
そんなに大したものじゃないとか、自分を大切にしなよといったコメントはありがたいが、それでやっと人並みになれる気がするのだ。


自分の人格がやばいことは自覚しているし、こんなのが彼氏を作って、まして結婚や出産なんかしたら不幸しか産まない。
だから喪女である事を受け入れて生きていこうと思って過ごしているが、


他人から改めてそれを指摘されるとやっぱり傷つくし、腹は立つのだ。プライドが変に高いから。

だから自分は、そういう思いを払拭したくて彼氏が欲しいと思うタイプの喪女だ。


でもそんな考えで誰かに自分の恋人になって貰うのは、その人に失礼すぎるし、進んでなる人も居ないだろう。


アラサーになって、喪女やら処女やらといった呪いが強くなった。
アラサーを過ぎたら劣等感で気が狂ってしまうかもしれない。もしくはもっと開き直れるのだろうか。
いずれにせよ、どうにかして解放されたい。